もきょの気まぐれ日記

今時の社会人が考えてるコト。祝10周年

カテゴリ: 日記

前回、スタートアップの駆け出しCOOとして採用に関する悩みを書いたわけですが、自分の頭を整理する意味でもこの雑記帳は役に立つのでPart2。

突然だが、どうやら僕(1990年生まれの26歳)には昨今年齢コンプレックスなるものが芽生えてきているらしい。

どういうことかといえば普段の取引先との会話の中で「もきょさん、お幾つなんですか?」と聞かれた時に「20代後半です。」や、「30くらいです。」と答えることがある。

本来であれば「20代半ばです。」とか、素直に「26です。」と答えれば良さそうなものだが、どうやら最近は少し年齢を上に見せようとしている。
この心理を自分なりに分析をしてみると、僕の中に眠るある種の悩みが見え隠れしていたので記事にしてみた。


ちなみに、22~25の社会人なりたて時は普通に当時の年齢を答えていた。
それはもしかして、こういう心理だったのではないか。

【甘え/予防線】
22歳(=新人)だったら、出来ない部分があっても許してくれるだろう
【驕り】
24歳(=若手)なのに、しっかりしていると思われるだろう

前者は「甘ったれたこと言うな!」と怒られそうだし、後輩がそんなこと言ってたら当然叱ることであるのは事実だ。
だがしかし、仕事への期待値を下げるという意味では確かに実年齢を言うメリットがある心理状態だ。

そして後者については、「えー、まだ入社○年目なの?!うちの新人よりしっかりしてるよ!」なんて褒められたい、恐らく自分基準で「平均的な○○歳よりもちゃんと生きている」と思えていた、つまり自信がそれなりにある場合にこういう発想になる可能性がある。

これも「若手」というそれなりの企業ならではの発想から生まれる心理状態ではなかろうか。
つまり、最後にケツを拭いてくれる先輩・上司がいる環境でなければ生まれない心理ではなかろうか。




しかし、スタートアップに入って、それもCOOになってそれが大きく変わった。

  1. 自分が最終判断を下さねばならない、逃げられない
  2. 若き天才や起業家など能力の高い人がうじゃうじゃいる
  3. 役職名と見た目のギャップが大きい


  1. 自分が最終判断を下さねばならない、逃げられない

言わずもがな、もう頼れる先輩、上司はいない。
もちろん組織図にすれば社長(CEO)はいるが、僕にとっては上というよりは、「役割が違う人」と勝手に認識している。

「役割が違う人」というのは、言い換えると「会社を良くする為のアプローチが違う人」である。

僕の中では企業としての哲学を定義し、トータルデザインを描くのがCEOであり、COOはそれを実現させることが仕事だ。

少なくとも僕は、「行動」による「実績」を会社に還元することで企業価値を向上させようとしているて、それはCEOの仕事ではないとすら思っている。

CEOの器と大局観がどうしても目の前の案件と数字に追われるCOOレベルでは到底困るわけだし。

そんなわけで、僕の中で目の前顧客、パートナーに対して行う判断は基本的には自分が下すものと決めている。その意味でパートナーと対話している立場としては、僕の上は無い。
社内で最も顧客、パートナーよりの立場でありながら経営としてベストな決断を下さねばならない。

・・・などと考えているけれど、その判断が正しいかどうか、手練のビジネスマン達を上回ることができるかどうか、ドキドキな毎日

 
 2.若き天才や起業家など能力の高い人がうじゃうじゃいる
僕は自分言うのもなんだが、常に「中の上」くらいで至極真っ当に生きてきた人間だと思う。
そこそこ偏差値の高い中学、高校から、同じくそこそこのMARCHクラスの私大に入って、世間的には結構良い大企業に入社して生きてきた。
その中においては、基本的に「年上」の人というのは、部活にしろ、勉強にしろ、スポーツにしろ、自分より経験が長い分だけ出来るのが当たり前で、年上の人からは学ぶものだと思ってきた。

ところが、スタートアップに入ってみるとまずもって、弱冠16歳で億単位の調達を成功させるプログラマー兼CEOなんてのもいるし、まして自分と同年代や数歳上でIPOした人なんてのもゴロゴロ転がっているわけだ。
僕の人生でいくと、こんなヤバい奴らの中に投げ込まれるまで、そういう人がいることは知っていても関わることがなかった。
とにかく、年齢が関係ない。実力が全て。

26歳なんて若くもなんでもない。

 3.役職名と見た目のギャップが大きい
当たり前の話だが、僕の名刺には「最高執行責任者」なんて文字が並んでいるし、メールの署名も同様だ。
今となってははそんなこと思わないが、仮に僕が前職の営業でダメ元でアポを取ろうと連絡したら返信が返ってきて「COOが対応します。」なんて言われた日には、嬉しい半面「やべぇ、偉い人出てきちゃう」と身構えるところだ。
僕がそうだったということは、逆に同じ感情を相手が抱くこともあるところだろう。

ところがいざ面談に行ってみたら、なんかちょっとヘラヘラした顔のどう見ても自分より若い兄ちゃんが「お待たせいたしましたー」なんて言いながら現れるわけだ。

そして、困惑する

一端の営業マンの僕はその表情を見逃さない


(あ、今、拍子抜けしたな。)

・・・

総合すると、
  • 責任の重さ
  • 年齢とかではなく、単なる実力への疑念
  • もう若いとは言い切れない年代だという気づき
がある中で

  • 嘗められたくない思い
から少しでもハッタリをきかそう

と思って「30くらいです!」と今日も答えるのであった。

会社の成長以上に自分も成長させ続け、早く年齢コンプレックスを解消したいところである。



(Part1と言っているけど、Part2が書かれる可能性は3%くらい)

ご無沙汰しております。

晴れてIoTスタートアップのCOO(最高執行責任者)になれて1年が経ち、多くの良いことが起こりました。

  1. 数多くの企業との提携をまとめることが出来た。
  2. 売上は億単位になった。
  3. 会社を代表してインタビューをされることも増えた。
  4. 部下ができた。
  5. 役職名を見てお客さんからうちに来てくれる(笑)
等々、世界をもっと良くするということに向けて全力で仕事に当たれており非常に充実した毎日を送っています。

しかしながら、良いことの裏返しで悩みも増えてくるもんです。


  1. 数多くの企業との提携をまとめることが出来た。
  2. 売上は億単位になった。
例えばコレ。色々なご縁が重なって会社がとても成長してきているのは確か。そして、まだまだ市場が立ち上がりつつある段階なので伸びられる。

しかし営業部隊の悩ましいことで、お取引や案件が増えることでやることも増えてくるので人手が不足する。

だから、もっと人を増やして成長曲線をより大きくしていこう!と考えるわけで採用に走るのだが、実は全然雇えない。中々良い人に出会えない。

最終的に

「俺があと6人いればいいのに」

というような勘違い甚だしい愚痴をこぼす結果になる。
本当は若干26歳の自分より出来る人なんて沢山いるとわかっていて、そういう人に入って欲しいと思っているのだけど。

僕達のようなフェーズでは一口に「売る」と言ってもお客さん1社1社に商品を紹介するのではなく、新事業企画を練りながら一緒に成長する未来を作るような営業の仕方が求められる。

そしてこういった仕事では一般の営業スキルとは別に下記の能力が必要だと考えている。
  • 未来の予測力
  • センス
  • 情熱
未来を高い確度で予測出来る人材でなければ、スタートアップに目が向くことはないだろうし、先々を見据えた提案は出来ない。

予測した未来の中で一番伸びしろがあることを選び抜き、必要なことを取捨選択するセンスが無ければ、「確かにありそうだけど、意味ないプロダクトやサービス」が出来上がってしまう。

そして、スタートアップとは要は誰も通ったことのない道を、懐中電灯もなく手探りで突っ込んでいくようなものなので、情熱がなければ実力やセンスがあっても続かない。

だから上記スキルをアピールしている人を探すのだけど、殆どいない。
おそらく、そこに目を向けている人が少ない。

それによって何が起こるか?

採用面談を行う中で、とても営業スキルが高い人はいても、「採用」出来ないのである。

僕は実力そのものよりも、「この人は、新しい未来を作りたいと思っているか?」を判断軸にするわけだけど、そういうことをアピールしてくる人は案外いないのである。


ここで言う未来は、社会的な未来と、個人的な未来(キャリアプラン)が含まれていて、どちらでも良いのでそういうことをより良く変えていきたいというアピールしてくれる人がもっと多ければいいのにな、と思うのです。

逆にそういう人がいれば喜んで仲間に加わって欲しい。


そんな悩みがひとつ。

(Part2あるかなぁ)

前回のエントリから更に数ヶ月が経ち、色々あった私。

実は、7月に入籍して、8月に挙式を行いました。
そうなんです。ついに私も結婚をする歳になっていたわけです。

前身のHPを含めずとも10年以上続いている(続けてはいないか)このBlogを読んでいる方へのご報告が遅れまして申し訳ございませんでした。

この話はもしかしたら後日するかもしれません。

仕事の方ではアライアンスマネージャーからCOO(最高執行責任者)という役職に就かせて頂きまして、やっている仕事自体は大して変わらない上、一般的なCOOなら持っているはずの生株を持っているわけでもないので、本来は責任をそこまで感じる必要はないのですが、まあそれでも会社を大きくしたいという気持ちはありますので精一杯やっている所であります。

そんなこんなで名前だけでも役職が上がって以来、責任について最近考えることがある。

つまり「責任を取る」ってどういうことなのか?を考えています。

世の中で責任を取るといえば、借金したら返すとか、子供が出来たら認知して養うとかそんなことがあったりするわけですが、そもそも責任というのは、辞書を引くと

自分の起こしたことに対して、対応する、対応できる状態

を指すらしい。

ん?つまり、例えば部下が起こしたことは自分がやったことでないので責任を取る必要はないのか?いやいやそんなことはないだろう、と。


個人的には責任を取るのは上司の仕事という意識があって、部下に責任を取らせるというのはよくわからなかったりする。

これは、恐らく前職での先輩や上司の振る舞いに影響されているのではないかと思います。

お客さん先でミスをしてしまった時、怒られた時、悪い報告をすると、僕の上司は一定の指示を出した後「俺を連れてけ」と言いながら最後は必ず一緒に謝りに行ってくれた。
 
僕がやるべき仕事をやらなかったり、チャレンジしたものの出来なかったりした時、僕の先輩は上司に一緒に頭を下げながら「俺(私)がコイツにきっちりやらせるので」と根気よく解決まで導いてくれた。

共通しているのは、一つ一つのイシューが解決するまでケツを拭いてくれて、一度たりとも「コイツが悪い」とか言いながら僕のことを売ることはなかったことだ。

これが、富士ゼロックス特有の文化なのか、一般的にも先輩上司のあり方としてそうなのかはわからないが、自分としては「ケツを拭く」というのが一つの責任のとり方だと思っている。


では、この原体験を踏まえた上で自分は本来の意味でCOOになった場合は、どうやって責任を果たせばいいのだろう。

1.会社や株主に対する責任
これは自分の立場としては、間違いなく現在及び未来の売上を担保していくことだろう。
ドライに考えれば自分のように経営権も株も所有していないのであれば、未来の売上を考えるよりは、現在の自分の給与分を全うするだけでもいいのかもしれないが、面白くはないので、勝手に考えて行動していたりする。至らない部分はあると思うが、コスパ的にはそう悪くない働きはしているだろう。
ここは経営側が僕に何を期待するのかによって変わってくる部分。

2.従業員に対する責任
これは、上述の経験に基づいていくと個人的には意識をしていたいところで、従業員の公私の生活に対する責任と考えている。
入社してくる人は、多くの時間を会社と共に過ごすことになる。その結果として報酬が得られ、仕事以外の生活も充実させる。 
家族がいる人にとっては、その家族も含めて責任が会社にはある。だから、扶養手当なんかが存在しているんだろう。
仕事とプライベートを一緒にすべき(やりたいことを仕事にする)という議論に基本的には賛成だけれども、多くの人にとっては仕事の結果プライベートで使えるお金が得られるのだから切り分けて考えるべきだろう。
その見地から行けば、従業員への責任の一つは会社を存続させていくことと 、適切な報酬を支払うことだと思う。
電通の件でブラック企業への批判が高まっているけれど、本来残業というのは自然発生するものではなく、させたければ了承を取った上で残業代を払う、有給は法的に自動的に湧いて出てくるもので、使う、使わせるのが当然という感覚を欠いた経営者が増えていることが問題だと思う。
法律にそう明記されている以上は、その感覚を欠いてはいけない。
経営者の論理は労働者には通用しないという前提が必要。

また、最大のパフォーマンスを発揮できる環境を作っていくことも責任だろう。
その上で、部下の行動の結果のケツを拭く、失敗も成功も含めてそれを行っていくべき。 

 3.顧客に対する責任
上記を満たす上で、 結局一番重要ながこれだ。当たり前の話であるけれども、顧客を満足させない製品やサービスはどんなにアイデアが優れていても限界が来る。
クドく書くまでもなく、本当に素晴らしいサービスを提供出来る会社にすることが結果的に上2つも満たすので、これを突き詰めていくことが一番大事だと思って仕事をする。
それを実現できる体制を作ることが2であり、1であるので、良い循環を回さないといけない。
結局ジリ貧の会社にはどれかが欠けて、エクセレント・カンパニーにはなれないのだ。


責任について考えていたけれど、結局自分が見失ってはならないこととしては、 スタートアップにいる以上は世の中を変えていく(僕の場合はなくすを、なくす)という心意気であり、製品の性質上沢山のユーザーに広めていくということだ。

流れの早い業界にいると、日々色々な技術が出てくるので、方針がブレそうになるし、本当にこのやり方が合っているのか不安になり、そうすると本当に生活していけるのかまで不安になるけれど、一点突破する以外に無いのだろうなと改めて考えています。

実は今年、新卒から3年お世話になった富士ゼロックスを退職して、IoT系のスタートアップに勤めています。
今時FBやTwitterで報告出来る時代ですが、ちょっと時間も経ったし、退職エントリとして本音をここに綴っておこうと思いました。

ちなみに僕は別にトップセールスだったわけでも無ければ、すごい人でもないので、誰かに教唆するなんて意図はありません。
ただ、僕の身に起こったここ数年の出来事を書いてみます。

【ゼロックスを選んだ経緯】
僕は、東日本大震災の翌年の就職活動で企業が採用を絞る中、MARCHというはっきり言って(大企業を狙おうとすれば)凡庸な学歴の割には、運良く2桁の内定を取ることが出来て、就職先に関しては沢山の選択肢がありました。

就職してやりたかったことは、「あらゆるモノがネットワークに繋がる社会を作って、そのプラットフォームから色んなサービスが生まれ、日本が豊かになる下地を作りたい」ということ。

当時は今ほどIoTという言葉は今ほど使われていなかったけど、要はIoTのプラットフォームを作りたかったんだと思う。
例えば、財布でもコップでも何でもかんでも、ネットに繋がる時代がやってきたとする。
全てのモノの位置情報取れたら落し物とか無くなるよね、とか思っていた。

ビジョンを実現するために、僕が主に狙っていたのは携帯電話のキャリアか、携帯電話メーカーが殆どだった。

通信キャリアは2つ受けて両方最終面接落ち食らった。
最終面接の役員に「うちは土管屋になるけどいいのか?」って言われたのを今でも覚えている。
それに対して僕はキャリアの使命は通信における技術革新と、顧客に最適な通信環境を提供することだと思っていたので、ある程度、それでもいいんじゃないすか?とか言っていた。

生意気なのでキャリアは落ちてしまったけど、当時は携帯電話メーカーなら通信の技術あるし、IoT出来そうだなと思って、内定もサクっと取って内定者懇親会なんかも行ったら、各社電機不況の中で社員の顔死んでるわ、スマホに乗り遅れて完全にAppleとSamsungに市場を持ってかれ、ヘタしたら携帯電話撤退だわ、という状況で、踏ん切りがつかなかった。

事実、その後、そういった会社は台湾企業に買収されたり、携帯電話事業から撤退してしまったりしたので、この選択は正しかったと思うけど、それは別の話。

そんな中、何気なく携帯電話とあまり関係のない富士ゼロックスという会社を受けていた。
主力の複合機にはさほど興味が無かったものの、もともと昨年亡くなった小林陽太郎氏のファンだったことや、「知の創造と活用を進める環境の構築」や「Better Communication」といったビジョン、そして何より、出会った社員の方々が全員(ほんとに全員)いい人ばかりで、なんて素晴らしい会社なんだと惚れてしまった。

ではこの会社で、IoTプラットフォームの構築を実現出来るか?という観点からも、既に何年も前からEP-BBというM2Mを活用したサービスを展開していたし、EP-BBの情報を収集してビッグデータから故障の予兆診断なんかもやっていた。
更に現代のITの技術の基礎を生み出したパロアルト研究所というIT業界で知らない人はいない素晴らしい資産が身近にあるという点等も含めて非常に良い選択肢だと思った。

それに複合機は殆どのオフィスにあるものだし、ゼロックスが入り込めるのは全業種、全企業である。
国内全ての企業の業務効率化の環境構築を支援出来れば、社会に与える良い影響は無限大だなと思った。ここしかないと思った。
もちろん競合他社(3大複合機メーカー)も選択肢にあったが、事業範囲が大きく、消費者としてしか興味が無く、作り手にはなりたいと思えないカメラの部署とかに行っても嫌だなと思った。

面接では、前述のことに加え、「MPS(Managed Print Service)事業をやりたい」「新規事業で紙(と複合機)をこの世から駆逐する取り組みをしたい」ということを言っていた。

前者のMPSについては、デカい企業で業務効率化の実績作ることで、アウトソーシングビジネスを日本でもアメリカのゼロックスのように一気に展開したかった。その流れで、ゼロックス発の革新的な技術を顧客に提供してみたいと思った。

後者については、どうせ入社したところでカウンタービジネスなんてもう終わりだろうと思っていたので、逆に自らの生み出した複写機という偉大な製品を自ら否定するくらいのことをやってみたいなという気持ちだった。

当時の面接官には【君はMPSをやっているGS営本という部署で働いて貰うよ】と言われ、
最終面接後の入社意思確認で、当時の採用センター長には【どの会社よりも面白いことさせてやるよ】と言われて、ゼロックスへの入社を決めた。
運良く3次面接をスキップして内定もらえたので、すぐに就活が終わった。

【入社後の研修】
入社後には小田原で3ヶ月の研修があった。平日は外出禁止の泊まりこみの研修だ。
復興支援で岩手に行かせてもらったり、「未来のコミュニケーション」について考えたり、内容も素晴らしいものだった。社会や未来に対するゼロックスのスタンスに惚れていた。
途中、みなとみらいの立派な研究所で見た技術は、宝の山だと思った。こんなに凄い技術があるなら、今後も革新的なことをやっていけると確信したものだ。

同期は皆いい人ばかりで、週末は毎週のように飲んだり、旅行をした。そして、毎晩遅くまで語り合った。
今思えば、宝物のような時間だったが、同期たちの優秀さに、自分への自信もだいぶ失くしていた時期だったように思う。

【配属】
営業に配属される人間は、7月から現場に行くことになる。ちなみに、営業SEコースというコースで入社すると、適正を見られた上で、営業になるか、SEになるかを6月下旬に言い渡される。

今となっては当たり前の話だが実際の所、大企業に入れば、自分の知らない部署が沢山あって、僕のようなただの文系大学出身で、学歴も社内では最下層に近い人間にはそうそう希望の部署は行けないものだ。
それでも僕の場合は採用時にMPSをやる部門で採ると言われていたので、多分その部署に行けるのだろうと思っていた。

現実はそう甘くなく、結果的に、僕はアカウントSRという職種、言ってしまえば営業の基本中の基本をやる部署に入ることになった。
配属先の支店は、所謂、新規開拓営業をやる所で、グローバルと名のついた、MPSをやるような、華やかそうな部門と比べたら、泥臭い営業部門だった。

正直に言うと、当時はここだけは入りたくないと思っていた(食わず嫌い甚だしいが)し、配属前の面談でもそのように伝えていただけに、採用センター長に愚痴をこぼした。
ここ以外ならどこでも良いと言った場所にわざわざ入れるとはどういうことかと。
でも、3年以内に異動出来る可能性が高いと言われたし、拒否した所に入れるということには、なんらかの意図があるのだろうから、まずはやってみようと思った。

【配属初期】
支店に入ってみると、そこは体育会の雰囲気のある支店だった。
外資のスマートなイメージがあるゼロックスだったが、とても日本企業っぽいなと思った。別の会社を知らないにも関わらずそう思ったのを覚えている。
しかし、やっぱり人はいい人ばかりで、毎晩飲みに連れて行ってもらたり、仕事も手とり足とり教えてもらった。
振り返ってみても本当に可愛がって頂いたと思う。

特にグループの先輩達は僕に「人として」どうあるべきかというのを、丁寧に伝えようとしてくれた。

慕っていた先輩が言っていた「他人を蹴落として上に上がろうとするな」「痛みのわかる大人になれ」「営業とはなんたるかを考えろ」「お客様のことを考えるんじゃない、考え抜け」など、今も覚えている言葉が沢山ある。

ただ、ここで個人的に大きな問題があった。全然売れないのだ。

本当に売れなかった。毎日毎日、名刺を破られたり、怒鳴られたりしながらも1社1社会社の経営状況などを調べて、仮説を持っていっても全く話も聞いてもらえなかった。
何が悪いのかわからないまま時間は過ぎるばかりで、そんな自分が嫌になり、周囲の目も気になって、残業時間が延び、日に日に病んでいった。
飛び込み営業でお客さんに断られる度、精神を磨り減らしている感覚があった。自分がこんなに弱い人間だと思わず、社会に適合出来ないってこんなに辛いのかと思った。

酷いときには会社が近づくと震えと吐き気が止まらず、乗り換え駅だった新宿三丁目駅でゲロ吐いたり、ビルの下まで着いてもエレベーターに乗れなかったりした。

まあ、人間単純なもので、営業そのもの慣れてきたり、ちゃんと仲良いお客さんが出来てちょっと売れたりしただけで、収まっていった。
その間、先輩達が本当に優しくしてくれたし、同じように疲弊する同期の女の子もいたので、俺もしっかりして支えないと、とか勝手に思って自分を鼓舞した。

【自我を持つ】
そんなこんなで、1年が経って、ちょうど表彰式にも参加出来たりした頃、僕は、「ちょっとITに強い営業」という評価をもらっていた。
複合機の強固なビジネスモデルから、アフタービジネスの大切さを学ぶと同時に、複合機のビジネスはもう終わりだ、とっくに終わっているのに生きながらえさせてるだけだという思いが強くなった。
はっきり言って、ゼロックスの機械の品質は贔屓目に見ても良いと思う。
設計思想を含めても、先に進んでると思っている。
それでも、顧客の大半は他社の製品でも不満が無いだろうな、と新規開拓営業故に客先で自社製品より他社製品に多く触れる日々の中で感じた。

また、研修の頃にみなとみらいで胸を踊らせた技術は、一向に製品になって出てこなかった。
代わりにGoogle Appsっぽいグループウェアとか、ARっぽいアプリとか、DropBoxを3回りくらい不便にしたようなソリューションとかがあったが、あれだけの技術があるのだから、もっと凄かったり、使えるソリューションが出来るはずだろうと思っていた。
申し訳ないがセンスの欠片も無いと思った。

唯一、DocuWorksは大好きだったかな。あれは良いソフトだ。
DocuWorksを使わず仕事をしている会社って不便だろうなと思う。でも、紙をそのまま電子にするって発想自体がもう時代遅れだと思う。笑
業務の中で紙、というフォーマットやメディアに縛られる必要はないからね。

話が逸れたが、僕のIT系の知識を買ってくれた上司からもITリーダーになれと言われ、今後はもっともっとソリューションを強化していきたいと思っていた矢先、マイナスの転機があった。

端的に言えば、個人業績の評価項目がコピー機をとにかく売れという形になったこと。
内容は詳しくは避けるけれど、僕はひたすらショックだった。

なぜなら、少なくともこの会社の今後の50年を作る製品は、複合機じゃないと思っていたからだ。
もちろん複合機は超ド級の主力事業だけれど、何を考えて、殆どが20代という社内的にも若い集団を、斜陽産業と言われている分野に突っ込むのか、よくわからなかった。
だって、多分自分達が役職が付く年齢になる頃には「あの頃はApeosってのが主力で〜」
となっているのだ。というか、なっててくれなきゃ困る。


ここで優秀な人ならば一念発起して、めちゃくちゃコピー機売って、上り詰めるとか、評価に因われず自分の信じた道を進んで遂に認められる、とかいうサクセス・ストーリーも生まれるのだろう。
だが僕はヘタレなので、単にモチベーションが下がってしまった。
案件を持ってITの支援部隊に相談したら、「うちの領域じゃない」「◯◯にでもやらせておけ」などと言われ、お客さんに謝って商談を降りることが多くなった。
例えば基幹をAWSやAzureに移行するという流れは、中小規模の会社ほどメリットが大きいので、僕もそういう提案をした。でも、FXはITコンサルを標榜する割にはAWSのことなんてちゃんと知ってる社員は少なく、やれるとしても莫大なコストを請求して人月商売する以外に能がなかった。
せっかく、何度も通いつめて新規の顧客から案件もらってこれかと悲しくなった。

この頃、キャリア相談があって新規事業開発等の部門への異動の希望を出した。
もちろん大企業の異動は部署を跨ぐと非常に難しかったりするのが常だし、社内的に大した実績があったわけでもないので、上司や部長は言った。

「営業で実績を残しつづけて、希望があるなら声を上げ続けなさい。このまま頑張れば行けるかもしれないよ。」

この言葉自体は、至極当然の回答であるし、批判するつもりも無い。
しかし、上司の都合で囲い込まれたり、追い出されたり、事業部で一生を終えそうな先輩達の異動を見て、ある程度自分が今後どうなるのか見えてきていた。
ユーザーを担当して、大きい会社担当して〜というステップアップか、営業として使えなかったら、なんかよくわかんない所に行くみたいな。
この大企業で配属先と全く別の部署に移るのは、ちょっと話題になるくらいのミラクルなことだ。
僕はそのミラクルを引き起こす自信も、ミラクルを待つ余裕も無かった。

自我というか、将来への不安から来る、ある種のわがままが心のなかに燻っていた。

【転職の決意】
不満はありながらも、2015年の年末まで、転職活動をするわけでもなく普通に会社員生活を送っていた。色んな思いはあるが、僕は生活をしなくちゃいけないし、車が欲しかったからだ。
福利厚生は大幅に削られたにせよ、かなりよかったし極端な話、真面目に仕事をしていればクビにはならないし、この会社は、偉大なビジネスモデルによってそう簡単に潰れないのだ。


もちろん、本当にこのままでいいのか?という思いもあり、同期が辞めていったり、転職活動の話を聞く中で、自分も何か動きたいと思っていた。
そこで、以前から言っていた、モノの位置情報を使ってビジネスをする会社があったら、ゼロックスと提携とかさせられやしないか?と情報を集めはじめた。すると1社見つけた。

かつで僕が面接で言っていた、IoTでやりたい事業のキャッチフレーズと一言一句違わぬ「なくすを、なくす。」を掲げる会社だった。
一度訪問したら、社長と意気投合して会社に誘ってくれたが、この時点ではゼロックスを辞めようなんてそこまで本気で思っていなかったので、そんなにすぐに決断出来るわけもなく、一旦保留にした。

奇しくもこのタイミングで、3年目のキャリア面談があった。思えば配属の時に異動は3年以内と言われていた期日が迫っていた。
去年と同じことを言ったが、返ってくる言葉はほぼ一緒だった。

「実績を積み重ねていったらいつかは行けるかもしれない。このまま頑張りなさい。」

一応、名誉のため書いておくと当時の上長は部下想いの方で、裏では僕が新規事業開発の部署に行くにはどうしたらいいかを調べてくれたりしていた。
ただ、どうしてもパスが見つからなかったようで、上記の言葉に辿り着いたとのこと。

先の2015年はIoTが日本で本格的にバズった年だった。
そして、IoTっていうのは僕の少ない脳みそで考える中では、ITの分野としてはインターネットの誕生移行、最も革新的なことが起こって、しかも市場がこれから出来る最後のフロンティアのようなイメージがあった。
市場も今後3年位でプレーヤーが出そろうだろうと感じていた中、あと2回くらい部署異動をしてから新規事業開発的なとこに行って、企画通って市場参入したところでもう遅いだろう、と思った。

更に、自分の持ち物をを断捨離するプロジェクトがあって、机の整理をしていたら、配属時に研修で書いた「3年後の自分へ」という自分への手紙が出てきた。
そこに書いてあったのは「会社にただのコピー機売ってこいって言われてそれに納得出来ないなら、会社辞めろ」という内容だった。

この時点で、かなり気持ちは傾いていた。

最後の引っ掛かりは、僕をここまで育ててくれた会社や上司や先輩には何も恩返しができていないこと。
少ない経験ながらも後輩に伝えきれなかったこともある。
同期にも助けられてきた。

葛藤はしたが、それでも、最後にはわがままを言って、ゼロックスを辞めることを決めた。

最終出社日、最後のスピーチの場で僕は涙が止まらなかった。25の男がこんなに泣けるものかと自分でも思った。
辛いことはあったし、納得行かないことも沢山あったけど、僕はやっぱりゼロックスが滅茶苦茶好きで、本当に入社してよかった。

この会社を新卒のキャリアとして、選んだことに全く後悔していない。

【スタートアップへ】
今は従業員が全部で7名ほどのスタートアップで、アライアンスマネージャーという仕事をしている。
企業とのコラボを推進していく仕事である。販路を広げたり、一緒にアライアンスを組んでプラットフォームを広げたり。
まだまだ仕事が甘いので、頼れる上司や先輩が恋しくなるけれど、楽しくやっている。

営業系の人材は、僕しかいないので、資料は全て手作りだし、受発注システムも無いし、契約書も手作りの状況。
いかに営業に専念できる環境を会社が作っていてくれたかが身にしみる。

社内人材的には各々がそれぞれ分野の責任者なので、意思決定が早い。
CTOは、2週間くれればとりあえず、なんでもある程度の形に出来ると背中を押してくれる。

営業としては、今のほうが楽しい。やっていることは、文字にすれば前も今も新規開拓だが意味合いが違う。
『間に合っています』みたいな感じで断れることはないので、単に興味が有るかどうかだけが判断基準になる。

ところで、何気にゼロックス出身というのは結構効果があって、大抵の企業のご担当者さまからは、「ああ、ただフラフラしてた人じゃないのね」という感じで接して頂けるのが、嬉しい誤算だった。
なんだかんだ言って、学歴とか経歴は第一印象を十分に左右するものなんだなと思いました。

ちなみに、給与面なんかは今のところ心もとないというか、これはもう、はっきり言ってゼロックスより厳しいが、ストックオプションに夢を見て目を逸らしています。

【まとめ】
ここまでが、社会人になってから今までの流れですが、現時点で、あくまで凡人の僕の感想としては、

新卒時に大企業(というかゼロックス)に勤めたのは、大正解だったということ。
 
素晴らしい研修もあったし、ネームバリューがある中で働くと、実力にそこまで自信が無い場合には精神的に楽。辞めても、大企業出身者というのは、そんな悪い印象を持たれることもない。
辞めなくても、会社に迷惑かけなければ、普通にご飯は食べていけるという選択肢を得ることも出来る。モチベーションによっては組織を変えることも出来る。
とにかく、選択肢を広く持てるというのは大きい。

辞める、辞めない、どちらの選択に至ってもある程度満足出来るのは良いことだ。

人間、切羽詰まると選択肢が狭まるのが一番良くない。
お金が無ければ、車は買えないし、時間が無ければ趣味に取り組めない。

色々と書いてきましたが、まだ新しい会社での仕事は始まったばかりです。
もしかしたら、来年には会社が無いかもしれない。そしたら、やっぱり残っておけばよかったとなるかもしれない。

とにかくまずは、後に振り返った時に、今回の選択が正解だったと思えるように、頑張っていきたいと思います。


放っておくとすぐ1年が経ってしまう。
アプリですぐにアクセス出来るFacebookやTwitterと違って、思い立たないと見ないブログってのは放置しがちになってしまいますね。

昔はメールで投稿とかしてたし、単に僕が飽きているだけかもしれないけれども。

人間、人がいるところに投稿するしね。

さて、あっという間に1ヶ月立ってしまいましたが、9月のシルバーウィークでシンガポールに行ってきました。
個人的には海外はスペイン以来3年ぶり。 アジアで言えば台湾に続き2カ国目の外国でした。
そもそも、僕は基本的には海外旅行に対して、そんなに興味が無いのである。 

特にアジア圏は、衛生面とか食事とか諸々が気になっちゃって、フルに楽しめないという事情がある。
 
そんな中で、縁あってシンガポールに行ったわけなんですが、個人的に印象に残ったことは、【発展途上国の勢いってコレか】ってのと【やっぱり日本の国力は相対的に下がっているな】ということ。

皆様もご存知の通り、シンガポールってのは先頃亡くなったリー・クアンユー率いる開発独裁の下で発展した国であり、巷では明るい北朝鮮なんて言われてるような国なんですが、極々一部の地域なんでしょうが、やはりビルの立ち方とか光物の多さとか、そういうものが凄い。
屋上プールで有名なマリーナベイサンズなんかがある地域やオーチャードなんかは高級ブランドショップが立ち並び、(異常に高い自動車の取得費用によって) ベンツで言えばEクラス以上の高級車しか走っていない道路など、おそらくバブルの日本はこうだったんだろうという光景が広がっていました。

敢えてバブルの日本と書いたけれども、少し下品な感じがしながらも、そんなどこもかしこも浮かれてる雰囲気が、例の【勢い】って奴なんだろうと思うわけです。
アベノミクスだなんだと言って数年経ちますが、チャチな円安・インフレ政策程度では実現出来ない国民の高揚感が確かにそこにはあるのです。
当時の国内製造業が衰退し、グローバル化=コスト競争が繰り広げられている中で円安政策をしたら、大半の国民は物価の高騰に苦しめられるのは当たり前の話。Apple製品一つとっても、どれもこれも一時期の1.5倍くらいの価格するでしょ。そこに消費税も上がったら、トリクルダウン理論で給与が上がるスピードよりも実質賃金は下がるわけだから、より一層厳しい世の中になるのである。

そうは言っても、格差問題なんかを孕んでいるシンガポールで、勢いを間近で見ることが出来たのが、F1シンガポールGPとカジノ(マリーナベイサンズとセントーサ両方)でした。

F1シンガポールGPは市街地レースですが、たまたま日本のSWと被っていたこともあって、せっかくだからということで、チケットを買って見に行きました。もう、白人の熱狂ぶりなんかもすごく、正直なところレースの内容自体はよくわかんなかったけれでも、あの規模でモーターレースをやってしまう勢いが凄いと思った。
日本で言えば港区あたりの道路を封鎖してレースをするとか、首都高を封鎖してレースをするとか、そういう規模の話なんだけれども、こんなことは国主導でないと実現出来るわけもなく、それを色々な反発を無視して経済のためにやってしまう。今の日本に圧倒的に足りないことだと思う。
どうせ封鎖するなら東京マラソンとか、そんなレベルじゃなくこういう世界的なイベントを招致していくってのが…。オリンピックがあるじゃないか、と仰る人もいるだろうけど、ね。あれは、ほら…笑

そして、カジノ。先に言いますが、私はボロ負けしました。笑
製造業も比較的しっかりしているシンガポールですが、やはり観光事業がメインという経済構造で、外貨を稼ぐには絶好の事業。
日本でも毎年カジノ法案が出ては消えてますが、 日本の市場で言えばほぼ確実に成功するのであるから、やればいいのに、と個人的には思っています。
日本各地で観光して、最後に大阪や東京のカジノで金を落として帰らせる。
シンガポールの場合は、国民は基本的に出入りしませんが、日本の場合、成人男性の10%近くがギャンブル依存症。パチンコの市場は24兆円と広大で、外国人VIPに頼らずとも日本人のマス向けだけでも経営は成り立つはず。
それに、日本企業は元々エンターテイメントを盛り上げる技術力に優れ、そのITシステムなんかは海外のカジノに輸出しているほど。国内産業の活性化にも一躍役立つし、PRの場としても使えるんじゃないかと。

まぁ、そんなことで、僕が言いたいのは、別に何もF1やれ、カジノやれ、ということではなく、多少無理があっても、利権に縛られずに海外にアピール出来る場を国内できっちり作れるような体制作りや、逆に日本は元々内需に優れた国家なのだから、搾取体制ではなく、国民の金を国内で循環させるような政策であったり、税制であったりを整えて一定の方向でしっかりやっていかないと、もういよいよダメなんじゃないか、と改めて考えさせられたという点です。
絞りとる金額をじわじわ上げていっても、国内経済がきっちりと盛り上がらない限りはジリ貧のままだし、高齢化は避けられないんだから、今のうちに若い世代にいい思いをさせといたほうがいいと思うよっていう話です。 小手先の経済指標(これすら怪しいが笑)じゃなくてね。

そして、日本の国力が相対的に下がっているという話。
明らかに、空港の看板や観光地に日本企業の広告や日本語が自分の小さかった頃よりも減っている、と感じました。
確かあれは98年くらいの話だったと思うけど、家族にアメリカ行った時は、どこ行っても日本語が書いてあって、SONYだなんだと日本企業の広告だらけだった記憶がある。
父がハンディカムで僕を撮っている時、興奮気味のアメリカ人がIs this SONY???Wow!!Very Small!!!!といった具合で日本の製品はすげぇな!と寄って来たものでした。
今は、なんか炊飯器だのトイレが売れてるだのってのが関の山で、IT系のサービスプラットフォームは根こそぎ海外(特にアメリカ)に持って行かれて、素材や部品などBtoBはともかく、コンシューマー向け産業が壊滅状態なのが、とてもさびしい。

僕は別に評論家でもアナリストでもないので、特に数字を出してどうこうは言わないけれども、そんな一般人でも感じるくらい、将来の日本への不安が高まったシンガポール旅行でした。

 

僕は現在23歳である。当然ながら会社では、まだまだ新人と同じような立ち位置だし、世間を見渡しても、高齢化著しい日本においては、やはり若い部類に入るはずである。

そんな僕の最近の悩みは老化である。

もう少し噛み砕くと、テーマとしては3つある。

・薄毛
・肥満
・顔に出る疲労感

である。うち、肥満と疲労感に関しては単に痩せてよく寝ればいいので、対処法が明確なのでいい。

問題は薄毛なのである。

薄毛、即ちハゲは、植毛やかつらなどの対処療法的な解決策はあるものの、未だかつて誰も根本的な部分での克服をしたことがないという絶望的な悩みなのだ。

そして、そんな薄毛を彼女からちょこちょこと指摘はされていたのだが、まだ23だし、冗談で言ってるんだと思っていた。

しかし、最近、風呂に入って髪が濡れると、頭皮が目につくようになってきたのである。
『こんな地肌見えたっけな?』と。

思い起こせば、この10年ほどワックスは日々欠かさずに付けているので頭皮は汚れているはず。
さらに、俺は風呂は大好きなのだが、一人暮らしをしてからはお湯をはれないし、何より夜は疲れているので、さっさと寝てしまう。
朝は毎日入るのだけど、すぐにまたワックスは付けるわけで、これでは実質的には平日は一週間丸々ワックスがついているのと一緒ではないか。 

さらに家系の話をしても、母方の男は全員ハゲである。
親戚も含めて。。。

認めたくは無いが、ハゲる条件は満たしている。

一体私はどうしたらいいんだろうか。
一度減った髪の毛はまた生えてくるのだろうか。

薄毛と僕、今後何十年も悩まされるこの物語の序章は始まってしまったのだろうか。 

10/1に内定式がありました。場所は横浜某所。


北海道から沖縄まで160人前後の内定者が集まるイベントというのは今回が初めてです。


うちの会社は特にTOEICを受けるとかではなく、役員の話を聞いて、内定証書授与、入社後の研修についての簡単な説明、そして懇親会という構成でオーソドックスなものでした。


兎にも角にも、やっと正式にこの会社に片足を突っ込んだ状態になったわけです。


実は4月の下旬には就活は終えてましたが、これまでそれなりに悩んでいました。

あの時点での第一志望は間違いなくココでしたが、その他に内定をいただいたうちの1社だけは人事での採用とレアなものであったり、勤務地や給与などの条件も世界で名が知れた会社だけあって申し分なかったりと決して悪い条件ではなかったので、営業ではなくそちらのキャリアもあったなあという思いがあったんです。


その根底にあるのは、営業職という星の数ほどいるこの職種で自分が上に上がっていけるのか、適性があるのか、人事の方が向いているんじゃないか、という自分への自信の無さ。


何しろ俺は人見知りが激しいほうであるので。


まぁ、結論から言えば、なんとかやっていけるんじゃないかとこの内定式を通じておぼろげながら感じることが出来た。


俺は4次会まで大騒ぎした後、関東勢で唯一横浜に残っていたので、翌日も横浜観光をする関西や九州の人達を軽く案内とかしてたんだけど、よくよく考えたら今までの自分だったら絶対にそんなことはしなかったんだよな、と。


大学入った時も結局高校の友人ばかりと遊んでて、サークルの2次会なんて顔出したこともないし。


多分、この変化は内定者の人たちが皆いい奴で、居心地の悪さを感じさせなかったことや、能力的にも自分より高い人ばかりだと思わせるモノがあったから、刺激を受けたことによるものかなと。



この自分が内定式翌日の夜9時まで何かをしているなんてねぇ。


それに、関東以外の人とコミュニケーションを取ることがあまりなかったから何処か面白みを感じていたのかも。

関係あるのかないのかわからんけど、関西弁とか九州弁って聞いてて心地よさがあるね。ちょっと言葉が移ってしまっている自分がいる。笑




そんなこんなで冒頭にも書いた通り、研修とか仕事とか、すっげぇ大変そうだけどこの人たちとだったら、この会社だったらなんとかなるんじゃないかと思えたことが収穫です。


どっちにしろもう逃げられないし、腹を括ろうと思います。俺は、あと半年で社会人になる。

久々に旅に出ます。


2年前の夏、僕は買ったばかりのクロスバイク(Ordina S5)で品川→名古屋間のチャリ旅に挑戦した。

そして大学最後の夏は友人と共に仙台を目指す。


距離的には同じ400Km程度であると思われるが、多少条件が変わってると思うので書いてみる。


1.装備の変化

前回の大まかな電子機器は、

SH-01A(ガラケー)、WiMAXルーター、iPod touch、Let'snote、モバイルブースター、デジカメであった。

ちなみに、前回の旅で僕は事故でLet's noteとデジカメを壊している。


今回は、

Xperia ray,モバイルブースター×2、iPodTouch、デジカメの予定である。


最も大きな変化としては、やはりケータイのスマホ化だろう。

ガラケーにもGPSは搭載されていたが、電子コンパスがついていなかったので、自分がどちらを向いているのかイマイチ把握しづらかったことと、GoogleMapsを参照しづらかった。

また、泊まる宿の選定にLet'snoteは不可欠であった。


今回はスマホ化によりココが大幅に改善。Let'snoteが不要になった。前回はスマホ的なことはiPodtouch+WiMAXだったが、田舎では正直使い物にならなかったので、やはりFOMA網を利用できるのが大きい。

また、デジカメやモバイルブースタ−をMicroUSBで充電できるので充電ケーブルが減る。


更に今回はスマホを自転車に取り付けるマウンターがあるのでナビも楽々だ。

一方でバッテリーの不安があるので、外部バッテリーは増えた。

更に嬉しいことにデジカメがGPS対応したことで写真を撮った場所が一目瞭然になる。


2.自転車のメンテ不足

こちらはマイナス要因であるが、この2年間で5000キロほど走行距離が伸びている一方で前輪のタイヤは一度も交換していないし、ギヤなども調整をまともにしていない。チェーンなども変えていない。途中で調子が悪くならなければいいが。。。後輪のタイヤとVブレーキだけは変えた。


3.経験の蓄積

前回は素人同然だったが、今回は前回の経験含めて経験値が上がっているので探り探りな旅ではない。


4.ルートの変化

前回は国道1号をひたすら西へ行くルートだったが、今回は北上ということでもう少し交通量の少ない道になるはず。

さらに天下の箱根峠は待ち構えていないので体力的には楽なはずである。

ただ、北は土地勘がないので、大きな市がどこにあるかわからないのが辛いかな。


5.同行者の変化

前回はあまり自転車に乗り慣れていない友人と焼津まで一緒だったが、今回は経験を多く積んだ大磯が最後までいるので精神的に楽である。



大きな変化としてはこの辺か。


ま、事故のないように頑張ります。


主に電子環境が改善したことでどれだけ旅が楽になるかに期待したい。

余裕ぶっこいてた大学の成績が大変なことになっていた。


僕は単位数は卒業要件を満たしているが、選択必修を残してしまっていた。

今期、選択必修を8単位履修し、試験範囲を間違って勉強し、4単位は確実に落とし、4単位は苦手な数学で大した点数は取れてないので不安。


もしも、この4単位を落としているとなると、後期も6単位が必要。しかし、なぜか後期、必修同士で時間が被ったり時間割がかぶってたりするので、選択可能な授業はわずか3つ。4単位×2、2単位×1。


2単位は知ってる先生なので、それなりにやれば単位を落とすことはないが、4単位の方はかなり厳しい先生。去年落とした。


取れなかったらヤバいな。成績わかるの3月じゃん。就活の準備してないとダメかも。。。ヤバ。。。


恐ろしい。怖い。


9/10まで前期の成績出ないのかよオイ!



SONYのCybershot、DSC-WX5を購入したのが2010年の秋頃。


しかし、今年の初めうっかりと地面に落としてしまい液晶が割れてしまいました。

修理しようにも、デジカメの値下がりが激しい今日この頃、修理代が12000円と新品買うのと大差ない値段であるいということで躊躇していました。


幸い、Xperia rayの画質は悪くないし、古いEXILIMが無いわけじゃなかったのでしばらくそちらを使っていたが、やっぱり暗所撮影の弱さが辛い。


夏休みも近いし、大学生活の思い出を収めるカメラがそろそろ欲しいなということで購入に踏み切りました。


WX5は中々いいカメラで、夜景や飲み会をフラッシュなしで綺麗に取れるというのが裏面照射型CMOSの圧倒的な強み、動画もハイビジョン撮影の質は高かった。


カメラとしての基本性能で不満は無かったわけなので、普通に考えれば後継機種のWX100あたりが候補になるところだけど、個人的にはどうしても欲しい機能があった。


それは、GPSとWi-Fiである。

2010年夏に名古屋まで自転車で向かった旅では当時EXLIMで結構な枚数の写真を撮った。

しかし、今見ると、一体この写真は何処で撮ったんだっけか?と思うことが多々ある。

その後、iPodtouchや、Rayで撮った写真もPicasaで管理するようになると、撮影場所が記録されている写真は当たり前だが、地図上で表示される。


これを体験したら、是非ともデジカメでもGPSが欲しくなってしまった。


また、Wi-Fiはデジカメで撮った写真を家に帰ってPCからFacebookなどにアップするのではなくて、スマホから出来たら、わざわざ同じ風景をデジカメで撮って、さらにケータイで撮るなんてことしなくて済むのにという考えからである。

もちろん、Eye-Fiなどを使えば実現できる機能ではあるが、カメラ本体でこの機能を持っていて悪いことはない。


暗所撮影に強い裏面照射型CMOS、高品質なビデオ撮影(アクティブモード搭載)、更にGPS、Wi-FiとなるとほぼSONY製に限られてくる中で、最終的に候補はHX30VとTX300Vになった。

TXの方はHXの20倍ズームが5倍になる代わりに、防水などの機能がついている。しかも軽い。ということでかなり惹かれたが値段が7000円前後HXよりも高い。

ただ、WX5の電池が流用できるという点では、バッテリー持ちの心配をしなくていいので、結構魅力ではあったが、ココでデジカメの進化を思い知らされる。


WX5では充電やデータの転送の為に特殊な端子のUSBケーブルが必要だった。

しかし、最新機種ではスマホなどでお馴染みのmicroUSBで充電もデータ転送もできるのだ!


つまり、スマホの充電器やモバイルブースターからの充電が出来るので、電池を二つ持ち歩くメリットが薄れる。しかもHXは安い、ということで結局HX30Vにしたのである。



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箱はこんな感じ。価格はAmazonで27080円でした。

Cyber-shot HX30V (1820万/光学x20) ブラック
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筐体はかなりWX5よりも大きく、高級感がある。

(左)HX30V(右)WX5


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20倍ズームはいまいち使い道がわからんが、秀逸なのはマクロ撮影機能。かなり近くまで寄れます。1cmまでは寄れる。

Xperia rayの汚れやひび割れまで写っちゃいます。

DSC01528





まだお出かけの予定は先だけども、使ってて不満は無さそう。


とりあえず、購入レポでした。


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