実は今年、新卒から3年お世話になった富士ゼロックスを退職して、IoT系のスタートアップに勤めています。
今時FBやTwitterで報告出来る時代ですが、ちょっと時間も経ったし、退職エントリとして本音をここに綴っておこうと思いました。

ちなみに僕は別にトップセールスだったわけでも無ければ、すごい人でもないので、誰かに教唆するなんて意図はありません。
ただ、僕の身に起こったここ数年の出来事を書いてみます。

【ゼロックスを選んだ経緯】
僕は、東日本大震災の翌年の就職活動で企業が採用を絞る中、MARCHというはっきり言って(大企業を狙おうとすれば)凡庸な学歴の割には、運良く2桁の内定を取ることが出来て、就職先に関しては沢山の選択肢がありました。

就職してやりたかったことは、「あらゆるモノがネットワークに繋がる社会を作って、そのプラットフォームから色んなサービスが生まれ、日本が豊かになる下地を作りたい」ということ。

当時は今ほどIoTという言葉は今ほど使われていなかったけど、要はIoTのプラットフォームを作りたかったんだと思う。
例えば、財布でもコップでも何でもかんでも、ネットに繋がる時代がやってきたとする。
全てのモノの位置情報取れたら落し物とか無くなるよね、とか思っていた。

ビジョンを実現するために、僕が主に狙っていたのは携帯電話のキャリアか、携帯電話メーカーが殆どだった。

通信キャリアは2つ受けて両方最終面接落ち食らった。
最終面接の役員に「うちは土管屋になるけどいいのか?」って言われたのを今でも覚えている。
それに対して僕はキャリアの使命は通信における技術革新と、顧客に最適な通信環境を提供することだと思っていたので、ある程度、それでもいいんじゃないすか?とか言っていた。

生意気なのでキャリアは落ちてしまったけど、当時は携帯電話メーカーなら通信の技術あるし、IoT出来そうだなと思って、内定もサクっと取って内定者懇親会なんかも行ったら、各社電機不況の中で社員の顔死んでるわ、スマホに乗り遅れて完全にAppleとSamsungに市場を持ってかれ、ヘタしたら携帯電話撤退だわ、という状況で、踏ん切りがつかなかった。

事実、その後、そういった会社は台湾企業に買収されたり、携帯電話事業から撤退してしまったりしたので、この選択は正しかったと思うけど、それは別の話。

そんな中、何気なく携帯電話とあまり関係のない富士ゼロックスという会社を受けていた。
主力の複合機にはさほど興味が無かったものの、もともと昨年亡くなった小林陽太郎氏のファンだったことや、「知の創造と活用を進める環境の構築」や「Better Communication」といったビジョン、そして何より、出会った社員の方々が全員(ほんとに全員)いい人ばかりで、なんて素晴らしい会社なんだと惚れてしまった。

ではこの会社で、IoTプラットフォームの構築を実現出来るか?という観点からも、既に何年も前からEP-BBというM2Mを活用したサービスを展開していたし、EP-BBの情報を収集してビッグデータから故障の予兆診断なんかもやっていた。
更に現代のITの技術の基礎を生み出したパロアルト研究所というIT業界で知らない人はいない素晴らしい資産が身近にあるという点等も含めて非常に良い選択肢だと思った。

それに複合機は殆どのオフィスにあるものだし、ゼロックスが入り込めるのは全業種、全企業である。
国内全ての企業の業務効率化の環境構築を支援出来れば、社会に与える良い影響は無限大だなと思った。ここしかないと思った。
もちろん競合他社(3大複合機メーカー)も選択肢にあったが、事業範囲が大きく、消費者としてしか興味が無く、作り手にはなりたいと思えないカメラの部署とかに行っても嫌だなと思った。

面接では、前述のことに加え、「MPS(Managed Print Service)事業をやりたい」「新規事業で紙(と複合機)をこの世から駆逐する取り組みをしたい」ということを言っていた。

前者のMPSについては、デカい企業で業務効率化の実績作ることで、アウトソーシングビジネスを日本でもアメリカのゼロックスのように一気に展開したかった。その流れで、ゼロックス発の革新的な技術を顧客に提供してみたいと思った。

後者については、どうせ入社したところでカウンタービジネスなんてもう終わりだろうと思っていたので、逆に自らの生み出した複写機という偉大な製品を自ら否定するくらいのことをやってみたいなという気持ちだった。

当時の面接官には【君はMPSをやっているGS営本という部署で働いて貰うよ】と言われ、
最終面接後の入社意思確認で、当時の採用センター長には【どの会社よりも面白いことさせてやるよ】と言われて、ゼロックスへの入社を決めた。
運良く3次面接をスキップして内定もらえたので、すぐに就活が終わった。

【入社後の研修】
入社後には小田原で3ヶ月の研修があった。平日は外出禁止の泊まりこみの研修だ。
復興支援で岩手に行かせてもらったり、「未来のコミュニケーション」について考えたり、内容も素晴らしいものだった。社会や未来に対するゼロックスのスタンスに惚れていた。
途中、みなとみらいの立派な研究所で見た技術は、宝の山だと思った。こんなに凄い技術があるなら、今後も革新的なことをやっていけると確信したものだ。

同期は皆いい人ばかりで、週末は毎週のように飲んだり、旅行をした。そして、毎晩遅くまで語り合った。
今思えば、宝物のような時間だったが、同期たちの優秀さに、自分への自信もだいぶ失くしていた時期だったように思う。

【配属】
営業に配属される人間は、7月から現場に行くことになる。ちなみに、営業SEコースというコースで入社すると、適正を見られた上で、営業になるか、SEになるかを6月下旬に言い渡される。

今となっては当たり前の話だが実際の所、大企業に入れば、自分の知らない部署が沢山あって、僕のようなただの文系大学出身で、学歴も社内では最下層に近い人間にはそうそう希望の部署は行けないものだ。
それでも僕の場合は採用時にMPSをやる部門で採ると言われていたので、多分その部署に行けるのだろうと思っていた。

現実はそう甘くなく、結果的に、僕はアカウントSRという職種、言ってしまえば営業の基本中の基本をやる部署に入ることになった。
配属先の支店は、所謂、新規開拓営業をやる所で、グローバルと名のついた、MPSをやるような、華やかそうな部門と比べたら、泥臭い営業部門だった。

正直に言うと、当時はここだけは入りたくないと思っていた(食わず嫌い甚だしいが)し、配属前の面談でもそのように伝えていただけに、採用センター長に愚痴をこぼした。
ここ以外ならどこでも良いと言った場所にわざわざ入れるとはどういうことかと。
でも、3年以内に異動出来る可能性が高いと言われたし、拒否した所に入れるということには、なんらかの意図があるのだろうから、まずはやってみようと思った。

【配属初期】
支店に入ってみると、そこは体育会の雰囲気のある支店だった。
外資のスマートなイメージがあるゼロックスだったが、とても日本企業っぽいなと思った。別の会社を知らないにも関わらずそう思ったのを覚えている。
しかし、やっぱり人はいい人ばかりで、毎晩飲みに連れて行ってもらたり、仕事も手とり足とり教えてもらった。
振り返ってみても本当に可愛がって頂いたと思う。

特にグループの先輩達は僕に「人として」どうあるべきかというのを、丁寧に伝えようとしてくれた。

慕っていた先輩が言っていた「他人を蹴落として上に上がろうとするな」「痛みのわかる大人になれ」「営業とはなんたるかを考えろ」「お客様のことを考えるんじゃない、考え抜け」など、今も覚えている言葉が沢山ある。

ただ、ここで個人的に大きな問題があった。全然売れないのだ。

本当に売れなかった。毎日毎日、名刺を破られたり、怒鳴られたりしながらも1社1社会社の経営状況などを調べて、仮説を持っていっても全く話も聞いてもらえなかった。
何が悪いのかわからないまま時間は過ぎるばかりで、そんな自分が嫌になり、周囲の目も気になって、残業時間が延び、日に日に病んでいった。
飛び込み営業でお客さんに断られる度、精神を磨り減らしている感覚があった。自分がこんなに弱い人間だと思わず、社会に適合出来ないってこんなに辛いのかと思った。

酷いときには会社が近づくと震えと吐き気が止まらず、乗り換え駅だった新宿三丁目駅でゲロ吐いたり、ビルの下まで着いてもエレベーターに乗れなかったりした。

まあ、人間単純なもので、営業そのもの慣れてきたり、ちゃんと仲良いお客さんが出来てちょっと売れたりしただけで、収まっていった。
その間、先輩達が本当に優しくしてくれたし、同じように疲弊する同期の女の子もいたので、俺もしっかりして支えないと、とか勝手に思って自分を鼓舞した。

【自我を持つ】
そんなこんなで、1年が経って、ちょうど表彰式にも参加出来たりした頃、僕は、「ちょっとITに強い営業」という評価をもらっていた。
複合機の強固なビジネスモデルから、アフタービジネスの大切さを学ぶと同時に、複合機のビジネスはもう終わりだ、とっくに終わっているのに生きながらえさせてるだけだという思いが強くなった。
はっきり言って、ゼロックスの機械の品質は贔屓目に見ても良いと思う。
設計思想を含めても、先に進んでると思っている。
それでも、顧客の大半は他社の製品でも不満が無いだろうな、と新規開拓営業故に客先で自社製品より他社製品に多く触れる日々の中で感じた。

また、研修の頃にみなとみらいで胸を踊らせた技術は、一向に製品になって出てこなかった。
代わりにGoogle Appsっぽいグループウェアとか、ARっぽいアプリとか、DropBoxを3回りくらい不便にしたようなソリューションとかがあったが、あれだけの技術があるのだから、もっと凄かったり、使えるソリューションが出来るはずだろうと思っていた。
申し訳ないがセンスの欠片も無いと思った。

唯一、DocuWorksは大好きだったかな。あれは良いソフトだ。
DocuWorksを使わず仕事をしている会社って不便だろうなと思う。でも、紙をそのまま電子にするって発想自体がもう時代遅れだと思う。笑
業務の中で紙、というフォーマットやメディアに縛られる必要はないからね。

話が逸れたが、僕のIT系の知識を買ってくれた上司からもITリーダーになれと言われ、今後はもっともっとソリューションを強化していきたいと思っていた矢先、マイナスの転機があった。

端的に言えば、個人業績の評価項目がコピー機をとにかく売れという形になったこと。
内容は詳しくは避けるけれど、僕はひたすらショックだった。

なぜなら、少なくともこの会社の今後の50年を作る製品は、複合機じゃないと思っていたからだ。
もちろん複合機は超ド級の主力事業だけれど、何を考えて、殆どが20代という社内的にも若い集団を、斜陽産業と言われている分野に突っ込むのか、よくわからなかった。
だって、多分自分達が役職が付く年齢になる頃には「あの頃はApeosってのが主力で〜」
となっているのだ。というか、なっててくれなきゃ困る。


ここで優秀な人ならば一念発起して、めちゃくちゃコピー機売って、上り詰めるとか、評価に因われず自分の信じた道を進んで遂に認められる、とかいうサクセス・ストーリーも生まれるのだろう。
だが僕はヘタレなので、単にモチベーションが下がってしまった。
案件を持ってITの支援部隊に相談したら、「うちの領域じゃない」「◯◯にでもやらせておけ」などと言われ、お客さんに謝って商談を降りることが多くなった。
例えば基幹をAWSやAzureに移行するという流れは、中小規模の会社ほどメリットが大きいので、僕もそういう提案をした。でも、FXはITコンサルを標榜する割にはAWSのことなんてちゃんと知ってる社員は少なく、やれるとしても莫大なコストを請求して人月商売する以外に能がなかった。
せっかく、何度も通いつめて新規の顧客から案件もらってこれかと悲しくなった。

この頃、キャリア相談があって新規事業開発等の部門への異動の希望を出した。
もちろん大企業の異動は部署を跨ぐと非常に難しかったりするのが常だし、社内的に大した実績があったわけでもないので、上司や部長は言った。

「営業で実績を残しつづけて、希望があるなら声を上げ続けなさい。このまま頑張れば行けるかもしれないよ。」

この言葉自体は、至極当然の回答であるし、批判するつもりも無い。
しかし、上司の都合で囲い込まれたり、追い出されたり、事業部で一生を終えそうな先輩達の異動を見て、ある程度自分が今後どうなるのか見えてきていた。
ユーザーを担当して、大きい会社担当して〜というステップアップか、営業として使えなかったら、なんかよくわかんない所に行くみたいな。
この大企業で配属先と全く別の部署に移るのは、ちょっと話題になるくらいのミラクルなことだ。
僕はそのミラクルを引き起こす自信も、ミラクルを待つ余裕も無かった。

自我というか、将来への不安から来る、ある種のわがままが心のなかに燻っていた。

【転職の決意】
不満はありながらも、2015年の年末まで、転職活動をするわけでもなく普通に会社員生活を送っていた。色んな思いはあるが、僕は生活をしなくちゃいけないし、車が欲しかったからだ。
福利厚生は大幅に削られたにせよ、かなりよかったし極端な話、真面目に仕事をしていればクビにはならないし、この会社は、偉大なビジネスモデルによってそう簡単に潰れないのだ。


もちろん、本当にこのままでいいのか?という思いもあり、同期が辞めていったり、転職活動の話を聞く中で、自分も何か動きたいと思っていた。
そこで、以前から言っていた、モノの位置情報を使ってビジネスをする会社があったら、ゼロックスと提携とかさせられやしないか?と情報を集めはじめた。すると1社見つけた。

かつで僕が面接で言っていた、IoTでやりたい事業のキャッチフレーズと一言一句違わぬ「なくすを、なくす。」を掲げる会社だった。
一度訪問したら、社長と意気投合して会社に誘ってくれたが、この時点ではゼロックスを辞めようなんてそこまで本気で思っていなかったので、そんなにすぐに決断出来るわけもなく、一旦保留にした。

奇しくもこのタイミングで、3年目のキャリア面談があった。思えば配属の時に異動は3年以内と言われていた期日が迫っていた。
去年と同じことを言ったが、返ってくる言葉はほぼ一緒だった。

「実績を積み重ねていったらいつかは行けるかもしれない。このまま頑張りなさい。」

一応、名誉のため書いておくと当時の上長は部下想いの方で、裏では僕が新規事業開発の部署に行くにはどうしたらいいかを調べてくれたりしていた。
ただ、どうしてもパスが見つからなかったようで、上記の言葉に辿り着いたとのこと。

先の2015年はIoTが日本で本格的にバズった年だった。
そして、IoTっていうのは僕の少ない脳みそで考える中では、ITの分野としてはインターネットの誕生移行、最も革新的なことが起こって、しかも市場がこれから出来る最後のフロンティアのようなイメージがあった。
市場も今後3年位でプレーヤーが出そろうだろうと感じていた中、あと2回くらい部署異動をしてから新規事業開発的なとこに行って、企画通って市場参入したところでもう遅いだろう、と思った。

更に、自分の持ち物をを断捨離するプロジェクトがあって、机の整理をしていたら、配属時に研修で書いた「3年後の自分へ」という自分への手紙が出てきた。
そこに書いてあったのは「会社にただのコピー機売ってこいって言われてそれに納得出来ないなら、会社辞めろ」という内容だった。

この時点で、かなり気持ちは傾いていた。

最後の引っ掛かりは、僕をここまで育ててくれた会社や上司や先輩には何も恩返しができていないこと。
少ない経験ながらも後輩に伝えきれなかったこともある。
同期にも助けられてきた。

葛藤はしたが、それでも、最後にはわがままを言って、ゼロックスを辞めることを決めた。

最終出社日、最後のスピーチの場で僕は涙が止まらなかった。25の男がこんなに泣けるものかと自分でも思った。
辛いことはあったし、納得行かないことも沢山あったけど、僕はやっぱりゼロックスが滅茶苦茶好きで、本当に入社してよかった。

この会社を新卒のキャリアとして、選んだことに全く後悔していない。

【スタートアップへ】
今は従業員が全部で7名ほどのスタートアップで、アライアンスマネージャーという仕事をしている。
企業とのコラボを推進していく仕事である。販路を広げたり、一緒にアライアンスを組んでプラットフォームを広げたり。
まだまだ仕事が甘いので、頼れる上司や先輩が恋しくなるけれど、楽しくやっている。

営業系の人材は、僕しかいないので、資料は全て手作りだし、受発注システムも無いし、契約書も手作りの状況。
いかに営業に専念できる環境を会社が作っていてくれたかが身にしみる。

社内人材的には各々がそれぞれ分野の責任者なので、意思決定が早い。
CTOは、2週間くれればとりあえず、なんでもある程度の形に出来ると背中を押してくれる。

営業としては、今のほうが楽しい。やっていることは、文字にすれば前も今も新規開拓だが意味合いが違う。
『間に合っています』みたいな感じで断れることはないので、単に興味が有るかどうかだけが判断基準になる。

ところで、何気にゼロックス出身というのは結構効果があって、大抵の企業のご担当者さまからは、「ああ、ただフラフラしてた人じゃないのね」という感じで接して頂けるのが、嬉しい誤算だった。
なんだかんだ言って、学歴とか経歴は第一印象を十分に左右するものなんだなと思いました。

ちなみに、給与面なんかは今のところ心もとないというか、これはもう、はっきり言ってゼロックスより厳しいが、ストックオプションに夢を見て目を逸らしています。

【まとめ】
ここまでが、社会人になってから今までの流れですが、現時点で、あくまで凡人の僕の感想としては、

新卒時に大企業(というかゼロックス)に勤めたのは、大正解だったということ。
 
素晴らしい研修もあったし、ネームバリューがある中で働くと、実力にそこまで自信が無い場合には精神的に楽。辞めても、大企業出身者というのは、そんな悪い印象を持たれることもない。
辞めなくても、会社に迷惑かけなければ、普通にご飯は食べていけるという選択肢を得ることも出来る。モチベーションによっては組織を変えることも出来る。
とにかく、選択肢を広く持てるというのは大きい。

辞める、辞めない、どちらの選択に至ってもある程度満足出来るのは良いことだ。

人間、切羽詰まると選択肢が狭まるのが一番良くない。
お金が無ければ、車は買えないし、時間が無ければ趣味に取り組めない。

色々と書いてきましたが、まだ新しい会社での仕事は始まったばかりです。
もしかしたら、来年には会社が無いかもしれない。そしたら、やっぱり残っておけばよかったとなるかもしれない。

とにかくまずは、後に振り返った時に、今回の選択が正解だったと思えるように、頑張っていきたいと思います。