前回のエントリから更に数ヶ月が経ち、色々あった私。
実は、7月に入籍して、8月に挙式を行いました。
そうなんです。ついに私も結婚をする歳になっていたわけです。
前身のHPを含めずとも10年以上続いている(続けてはいないか)このBlogを読んでいる方へのご報告が遅れまして申し訳ございませんでした。
この話はもしかしたら後日するかもしれません。
仕事の方ではアライアンスマネージャーからCOO(最高執行責任者)という役職に就かせて頂きまして、やっている仕事自体は大して変わらない上、一般的なCOOなら持っているはずの生株を持っているわけでもないので、本来は責任をそこまで感じる必要はないのですが、まあそれでも会社を大きくしたいという気持ちはありますので精一杯やっている所であります。
そんなこんなで名前だけでも役職が上がって以来、責任について最近考えることがある。
つまり「責任を取る」ってどういうことなのか?を考えています。
世の中で責任を取るといえば、借金したら返すとか、子供が出来たら認知して養うとかそんなことがあったりするわけですが、そもそも責任というのは、辞書を引くと
自分の起こしたことに対して、対応する、対応できる状態
を指すらしい。
ん?つまり、例えば部下が起こしたことは自分がやったことでないので責任を取る必要はないのか?いやいやそんなことはないだろう、と。
個人的には責任を取るのは上司の仕事という意識があって、部下に責任を取らせるというのはよくわからなかったりする。
これは、恐らく前職での先輩や上司の振る舞いに影響されているのではないかと思います。
お客さん先でミスをしてしまった時、怒られた時、悪い報告をすると、僕の上司は一定の指示を出した後「俺を連れてけ」と言いながら最後は必ず一緒に謝りに行ってくれた。
僕がやるべき仕事をやらなかったり、チャレンジしたものの出来なかったりした時、僕の先輩は上司に一緒に頭を下げながら「俺(私)がコイツにきっちりやらせるので」と根気よく解決まで導いてくれた。
共通しているのは、一つ一つのイシューが解決するまでケツを拭いてくれて、一度たりとも「コイツが悪い」とか言いながら僕のことを売ることはなかったことだ。
これが、富士ゼロックス特有の文化なのか、一般的にも先輩上司のあり方としてそうなのかはわからないが、自分としては「ケツを拭く」というのが一つの責任のとり方だと思っている。
では、この原体験を踏まえた上で自分は本来の意味でCOOになった場合は、どうやって責任を果たせばいいのだろう。
1.会社や株主に対する責任
これは自分の立場としては、間違いなく現在及び未来の売上を担保していくことだろう。
ドライに考えれば自分のように経営権も株も所有していないのであれば、未来の売上を考えるよりは、現在の自分の給与分を全うするだけでもいいのかもしれないが、面白くはないので、勝手に考えて行動していたりする。至らない部分はあると思うが、コスパ的にはそう悪くない働きはしているだろう。
ここは経営側が僕に何を期待するのかによって変わってくる部分。
2.従業員に対する責任
これは、上述の経験に基づいていくと個人的には意識をしていたいところで、従業員の公私の生活に対する責任と考えている。
入社してくる人は、多くの時間を会社と共に過ごすことになる。その結果として報酬が得られ、仕事以外の生活も充実させる。
家族がいる人にとっては、その家族も含めて責任が会社にはある。だから、扶養手当なんかが存在しているんだろう。
仕事とプライベートを一緒にすべき(やりたいことを仕事にする)という議論に基本的には賛成だけれども、多くの人にとっては仕事の結果プライベートで使えるお金が得られるのだから切り分けて考えるべきだろう。
その見地から行けば、従業員への責任の一つは会社を存続させていくことと 、適切な報酬を支払うことだと思う。
電通の件でブラック企業への批判が高まっているけれど、本来残業というのは自然発生するものではなく、させたければ了承を取った上で残業代を払う、有給は法的に自動的に湧いて出てくるもので、使う、使わせるのが当然という感覚を欠いた経営者が増えていることが問題だと思う。
法律にそう明記されている以上は、その感覚を欠いてはいけない。
経営者の論理は労働者には通用しないという前提が必要。
また、最大のパフォーマンスを発揮できる環境を作っていくことも責任だろう。
その上で、部下の行動の結果のケツを拭く、失敗も成功も含めてそれを行っていくべき。
3.顧客に対する責任
上記を満たす上で、 結局一番重要ながこれだ。当たり前の話であるけれども、顧客を満足させない製品やサービスはどんなにアイデアが優れていても限界が来る。
クドく書くまでもなく、本当に素晴らしいサービスを提供出来る会社にすることが結果的に上2つも満たすので、これを突き詰めていくことが一番大事だと思って仕事をする。
それを実現できる体制を作ることが2であり、1であるので、良い循環を回さないといけない。
結局ジリ貧の会社にはどれかが欠けて、エクセレント・カンパニーにはなれないのだ。
責任について考えていたけれど、結局自分が見失ってはならないこととしては、 スタートアップにいる以上は世の中を変えていく(僕の場合はなくすを、なくす)という心意気であり、製品の性質上沢山のユーザーに広めていくということだ。
流れの早い業界にいると、日々色々な技術が出てくるので、方針がブレそうになるし、本当にこのやり方が合っているのか不安になり、そうすると本当に生活していけるのかまで不安になるけれど、一点突破する以外に無いのだろうなと改めて考えています。
実は、7月に入籍して、8月に挙式を行いました。
そうなんです。ついに私も結婚をする歳になっていたわけです。
前身のHPを含めずとも10年以上続いている(続けてはいないか)このBlogを読んでいる方へのご報告が遅れまして申し訳ございませんでした。
この話はもしかしたら後日するかもしれません。
仕事の方ではアライアンスマネージャーからCOO(最高執行責任者)という役職に就かせて頂きまして、やっている仕事自体は大して変わらない上、一般的なCOOなら持っているはずの生株を持っているわけでもないので、本来は責任をそこまで感じる必要はないのですが、まあそれでも会社を大きくしたいという気持ちはありますので精一杯やっている所であります。
そんなこんなで名前だけでも役職が上がって以来、責任について最近考えることがある。
つまり「責任を取る」ってどういうことなのか?を考えています。
世の中で責任を取るといえば、借金したら返すとか、子供が出来たら認知して養うとかそんなことがあったりするわけですが、そもそも責任というのは、辞書を引くと
自分の起こしたことに対して、対応する、対応できる状態
を指すらしい。
ん?つまり、例えば部下が起こしたことは自分がやったことでないので責任を取る必要はないのか?いやいやそんなことはないだろう、と。
個人的には責任を取るのは上司の仕事という意識があって、部下に責任を取らせるというのはよくわからなかったりする。
これは、恐らく前職での先輩や上司の振る舞いに影響されているのではないかと思います。
お客さん先でミスをしてしまった時、怒られた時、悪い報告をすると、僕の上司は一定の指示を出した後「俺を連れてけ」と言いながら最後は必ず一緒に謝りに行ってくれた。
僕がやるべき仕事をやらなかったり、チャレンジしたものの出来なかったりした時、僕の先輩は上司に一緒に頭を下げながら「俺(私)がコイツにきっちりやらせるので」と根気よく解決まで導いてくれた。
共通しているのは、一つ一つのイシューが解決するまでケツを拭いてくれて、一度たりとも「コイツが悪い」とか言いながら僕のことを売ることはなかったことだ。
これが、富士ゼロックス特有の文化なのか、一般的にも先輩上司のあり方としてそうなのかはわからないが、自分としては「ケツを拭く」というのが一つの責任のとり方だと思っている。
では、この原体験を踏まえた上で自分は本来の意味でCOOになった場合は、どうやって責任を果たせばいいのだろう。
1.会社や株主に対する責任
これは自分の立場としては、間違いなく現在及び未来の売上を担保していくことだろう。
ドライに考えれば自分のように経営権も株も所有していないのであれば、未来の売上を考えるよりは、現在の自分の給与分を全うするだけでもいいのかもしれないが、面白くはないので、勝手に考えて行動していたりする。至らない部分はあると思うが、コスパ的にはそう悪くない働きはしているだろう。
ここは経営側が僕に何を期待するのかによって変わってくる部分。
2.従業員に対する責任
これは、上述の経験に基づいていくと個人的には意識をしていたいところで、従業員の公私の生活に対する責任と考えている。
入社してくる人は、多くの時間を会社と共に過ごすことになる。その結果として報酬が得られ、仕事以外の生活も充実させる。
家族がいる人にとっては、その家族も含めて責任が会社にはある。だから、扶養手当なんかが存在しているんだろう。
仕事とプライベートを一緒にすべき(やりたいことを仕事にする)という議論に基本的には賛成だけれども、多くの人にとっては仕事の結果プライベートで使えるお金が得られるのだから切り分けて考えるべきだろう。
その見地から行けば、従業員への責任の一つは会社を存続させていくことと 、適切な報酬を支払うことだと思う。
電通の件でブラック企業への批判が高まっているけれど、本来残業というのは自然発生するものではなく、させたければ了承を取った上で残業代を払う、有給は法的に自動的に湧いて出てくるもので、使う、使わせるのが当然という感覚を欠いた経営者が増えていることが問題だと思う。
法律にそう明記されている以上は、その感覚を欠いてはいけない。
経営者の論理は労働者には通用しないという前提が必要。
また、最大のパフォーマンスを発揮できる環境を作っていくことも責任だろう。
その上で、部下の行動の結果のケツを拭く、失敗も成功も含めてそれを行っていくべき。
3.顧客に対する責任
上記を満たす上で、 結局一番重要ながこれだ。当たり前の話であるけれども、顧客を満足させない製品やサービスはどんなにアイデアが優れていても限界が来る。
クドく書くまでもなく、本当に素晴らしいサービスを提供出来る会社にすることが結果的に上2つも満たすので、これを突き詰めていくことが一番大事だと思って仕事をする。
それを実現できる体制を作ることが2であり、1であるので、良い循環を回さないといけない。
結局ジリ貧の会社にはどれかが欠けて、エクセレント・カンパニーにはなれないのだ。
責任について考えていたけれど、結局自分が見失ってはならないこととしては、 スタートアップにいる以上は世の中を変えていく(僕の場合はなくすを、なくす)という心意気であり、製品の性質上沢山のユーザーに広めていくということだ。
流れの早い業界にいると、日々色々な技術が出てくるので、方針がブレそうになるし、本当にこのやり方が合っているのか不安になり、そうすると本当に生活していけるのかまで不安になるけれど、一点突破する以外に無いのだろうなと改めて考えています。
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